メンタルケア

子どもからの『ありがとう』がなくても、僕が育児を頑張れる理由

どうも、こんにちは!妻と子ども二人で暮らしているサラリーマン27歳、”はやきち”です!

子どもは親に「ありがとう」を言ってくれる存在じゃない。
どれだけ頑張っても、夜泣きで起きても、ご飯を作っても、選択しても。
「ありがとう」って言葉は、そう簡単には返ってこない。

正直、僕も何度も思ったことがある。
「誰も感謝してくれないのに、なんで僕はこんなに頑張っているのだろう??」って。。。

でも、あるとき気づいたんです。
子どもがくれるのは「ありがとう」という言葉じゃなくて、
生きている姿そのものだってことに

眠るときの寝顔、気づいたら手を繋いでくれる瞬間、
何気なく呼ばれる「ママ」「パパ」という声。

小さな体で生きて、笑って、泣いて、すねて、また笑う。
その全部が「生きててくれてありがとう」って、逆に私が思わされているんだって。

子どもから「ありがとう」がなくても頑張れるのは、そんな小さな奇跡が、毎日目の前に転がっているから。

今日はそんな私の思いを、少しだけ綴らせてください

「ありがとう」がないのが当たり前、それでも寂しい

「パパお腹すいた」「パパ遊んで」「パパこれやって」
3歳児の口からは要求が止まらない。

でも「ありがとう」という言葉は、ほとんど出てこない😢。

もちろん、まだ小さいから仕方ない。
頭では分かっているけど、たまに心のどこかで寂しくなります。

感謝を求めてしまう自分が嫌だった

夜中に何度も泣いて起こされて、ごはんを作っても投げられて、
片付けた端から散らかされる毎日。

「僕がどれだけ頑張ってるか、わかってるのかな…?」
なんて考えてしまう。

そんな自分が、
「親なんだから当たり前でしょ!」って誰かに叱られそうで、
余計に自分を責めてしまったりして

子どもに何回もごめんねと謝っていました。。。

ふと気づいた、小さな『ありがとう』は形を変えていた

ある日、保育園からの帰り道。
手をつないで歩いていたら、急に子どもが「パパ、大好き!」って言った。

その一言で、目から涙が滝のように出そうになった(´;ω;`)ウゥゥ。。。
グッとこらえて、子どもに涙を見せなかった。

「ありがとう」じゃないけど、
これが私が欲しかった“報われる瞬間”なんだなって

寝顔を見て、
「今日も一日無事に生きてくれてありがとう」って
思える日もある。

言葉じゃなくても、
小さな『ありがとう』は確かにそこにあったんだと気づいた

育児って、親の自己満足でもいい

僕は「見返りを求めるなんて、親として未熟だ」
って自分を責めていたけど、

最近は思う。

子どもから感謝の言葉がなくたって、この子の笑顔や成長を見るだけで、僕は勝手に幸せをもらってる

それって、「自己満足」でいいじゃないかって。

私が子どもに教わった“本当の報酬”

育児のご褒美は、
子どもの口から「ありがとう」と言われることじゃなくて、

・元気に育っている姿
・当たり前みたいに私の手を握ってくれること
・泣き顔も笑い顔も全部見せてくれること

そんな“当たり前の奇跡”こそが、親がもらえる最高の報酬なんだと思う。

まとめ:子どもからの「ありがとう」がなくても大丈夫な理由

育児はいつも報われないって言われるけど、
実はちゃんと報われている。

「ありがとう」がなくても、
毎日を一生懸命生きてくれる姿だけで十分。
むしろこっちが「生まれてきてくれてありがとう」って思わせてもらってる

だから大丈夫。
たまに「ありがとう」って言葉が聞けたらラッキーくらいで、
今日も笑って、泣いて、また笑えばいい。

そんな風に思えるようになった自分を
少しだけ褒めてあげよう。